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本の解説ではなく、「こういう読み方をしたらもっと面白いんじゃないか」を提案していく場です。

【ソクラテスの弁明】ソクラテスは実はコミュ障?!【感想・レビュー】

どうも、小野田(@carory)です。
今回は古典を読もう!ってことで、
『ソクラテスの弁明』を読んでみました。

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まだ4分の1くらい読んだだけなんですが、
感じたことを書こうと思います。

まあ、結論はタイトルに出ちゃってるんですけどね。苦笑

ですが、他の古典からも引用しつつ、
勉強になることをこんな感じのラフな文章で
書いていこうと思うので、ぜひ読み進めてみてください!


まず、ソクラテスの弁明を読み始めると
こんな一文で始まります。

”アテナイ人諸君、諸君が私の告発者の弁論から
はたしていかなる印象を受けたか 、
それは私には分らない 。”

どんな状況だよ!、って感じですよね。

読んでいけば分かってくるんですが、
まずこのソクラテスの弁明がどんなものかを
知っておいた方が理解しやすいと思うので、
我らがWikipediaから引用します。

”ペロポネソス戦争でアテナイがスパルタに敗北後、
アテナイでは親スパルタの三十人政権が成立し恐怖政治が行われた。

三十人政権は一年程度の短期間で崩壊したが、
代わって国の主導権を奪還した民主派勢力の中には、
ペロポネソス戦争敗戦や三十人政権の惨禍を招いた
原因・責任追及の一環として、ソフィスト・哲学者等の
「異分子」を糾弾・排除する動きがあった。

ペロポネソス戦争において致命的な働きをした
アルキビアデスや、三十人政権の主導者であった
クリティアス等と付き合いがあり、
彼らを教育した師であるとみなされていたソクラテスも、
その糾弾・排除対象の一人とされた。

こうしてソクラテスは、「国家の信じない神々を導入し、
青少年を堕落させた」として宗教犯罪である
「涜神罪」(神を冒涜した罪)で公訴され、
裁判が行われることになった。本篇はその場面を題材とする。”

(Wikipediaより引用)


ざっくり要約すると、
「戦争に負けたり圧政で俺らが苦しい思いしたのには、
そこに関わった奴らを教育してきた
ソクラテスにも原因がある。許せねえ!」

っていう民衆が大多数いたわけです。

それで、ソクラテスが裁判にかけられて、
そのときに「私は無実だ!」って
弁明する様子を描いたのがこの本です。


さて。

Wikipediaの引用によると、
ソクラテスが裁判にかけられたのは
悪いヤツらの師とされてるから、
って書いてありますが、実はそれだけじゃないんですよ。


それが分かるのが、ソクラテスのこんな言葉。

”私に対して現われた弾劾者には二種類あって 、
一は今私を告発せる者であり 、
他は既述せる如く旧くからの者であることを認められたい 。”


===============
実は、ソクラテスは昔から
たくさんの人に嫌われてたんです。
===============

これ、芸能人がちょっとしたスキャンダルで
叩かれまくるのと似てますよね。

嫌悪や憎悪や嫉妬を感じてた人は、
その対象がなにかミスしたりして
キッカケがあれば「今だ!チャンス!!」
って言わんばかりに一斉攻撃するわけです。

それと同じ。

そもそもソクラテスは、
多くの人に嫌われてたから
そんな状況になったんですよ。


じゃあ、どうして嫌われたのか?

ここが重要ポイント!

タイトルに「コミュ障」って書いた意図は、
この部分です。


そのキーワードは、「無知の知」にあります。

無知の知・・・
聞いたことありますか?

この本読んだことなかった僕の耳にも
届いていた言葉なので、有名な言葉なんだと思います。


ソクラテスは、対話を通して
自分の知識が完全でないことに気付いていて、
人間には全てを知ることなんてできないと考えてました。

その意味で、
==================
「私は何も知らないということを知ってる。」
↑これを無知の知と言います。
==================


だからソクラテスは、自分のことを
賢者(知恵ある者)とは思ってなかったんですが、
ある日、神様から「あなた以上の賢者はいない」
って言われたそうです。

現代で考えたらヤベー人だと思われそうですが、
とにかくそういう事があったそう。

でも、ソクラテスはそれを認めることができず、
こんなことを考えます。


「そうだ!世間で賢者と呼ばれてる人に会えば、
その人の賢明さを前に自分の未熟さが証明されるはず!」

そう思い、政治家や詩人や職人など
いろんな人と会って対話しにいきます。

 

ですが、ソクラテスの思いはすぐに崩れました。


そこで、世間で賢者と呼ばれる人に、
共通してこんなことを感じたんです。

==================
「この人たちは全てを知ってると思い込んでいる。
しかも、自分の分野だけじゃなく、
他の事柄について素晴らしい知見があるんだと。
知らないことを、知ってると思い込んでる。

これに対して、私は何も知らないけど
知ってるとも思ってない。
すべてを知ってるなんて思ってない。

この点において、私の方が優れてるな。
==================


と、こう感じる分には別にいいですよね。

ただ、そこで大人しくしておけば良かったものの、
ソクラテスはこんな行動をするんです。

 

”彼と対談中に私は、
なるほどこの人は多くの人々には賢者と見え、
なかんずく彼自身はそう思い込んでいるが、
しかしその実彼はそうではないという印象を受けた。

それから私は、彼は自ら賢者だと
信じているけれどもその実そうではないということを、
彼に説明しようと努めた。”

 
つまり、
「あんた自分では賢いつもりかもしれないけど、
全然そんなことないんだからね。」
って、相手に直接言ったわけです。

そりゃー、相手怒りますよ。笑


だけどソクラテスは懲りることなく、
「嫌われた。だがワシは間違ってない」
と信じて、他の人にも同じように話して回ったんです。

結果、影響力ある人に嫌われまくり、
その人達が「あいつはクソ野郎だ」と
周りに言いふらすわけですから、
それが広がって大多数の人たちに
嫌われることになったわけですね。


この辺りから、
ソクラテスはたしかに思慮深いかもしれないけども、
人との付き合い方には問題があったんじゃないかなと思われます。

だって、もっと違う言い方あったはずですから。

どんなに正しいこと言ってようが、
人間、嫌いな人の言葉なんて受け入れようとしません。


これはアリストテレスの『弁論術』でも
こんな風に書いてあります。

愛している時と憎んでいる時とでは、
また、腹を立てている時と穏やかな時とでは、
同じ1つのものが同じには見えず、
全く別物に見えるか、あるいは
大きく異なったものに見えるかするものである。
(『弁論術』岩波文庫、P159、著アリストテレス)

 

僕らは、誰かの考え方を変えようとするとき、
ここを忘れちゃいけません。

人は論理じゃなくて感情で判断するものですからね。

感情を分離して論理で判断するのって、
めちゃくちゃ難しいこと。


たぶん、ソクラテスにはそれが出来てたからこそ、
そうして論理で相手に話したんだと思います。

出来て当たり前だと思い込んでたわけですね。


なので、この『ソクラテスの弁明』は、
ソクラテスが賢すぎるが故の
悲劇だったのかなって感じました。

==================
自分に出来ることを
相手も出来るもんだと思い込まないこと。
==================

まだ4分の1ほど読んだところですが、
そんなことを学べた本でした。


ただ、これだけじゃなくて、
ソクラテスが弁明していく過程で
いかに話を進めていくのか?

っていう話の構成は
論理的に話す技術の勉強になりますし、
本来はそういう本だと思うので、
話術とか文章術を学びたい人にもオススメな本です!

さすがに歴史の淘汰を乗り越えてきた
古典と呼ばれるだけあります。


それでは、この辺で〜!

PS.

もっと短く書くつもりだったんですが、
長くなっちゃいました。笑

それだけ熱くなれる本ってことですね!

 

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