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本の解説ではなく、「こういう読み方をしたらもっと面白いんじゃないか」を提案していく場です。

【学問のすすめ】実はそんなに学問すすめてない説【感想・レビュー】

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どうも、小野田(@carory)です。
↑の本、一度は名前を聞いたことある本だと思います。

経営者の方が「1度は読んだ方がいい」って
よく言っていたので僕も読んだ本なんですが、
今回、改めてこの本の魅力だったり
ザックリした内容を伝えていこうと思います!

まずこの『学問のすすめ』ってタイトル見たとき、
パッとどんなイメージ湧きましたか?


きっと、のび太くんならこう言うでしょう。

「うげー、どうせママとか先生みたいに
”勉強しなさい!”って長ったらしく
説教してくるような本なんでしょ?

そんなの言われなくても
分かってるんだから、
わざわざ読もうなんて思わないよ!!
ドラえm・・・」


実際、僕も読むまでそう思ってました。

こういうタイトルの本って、
「いかに勉強が大事か?」が延々と書いてあって、
事例がたくさんあるだけでページ数を増やしてる
中身のない本が多い傾向にあるので、
読む前から読んだ気になってました。

「うんうん、知ってる知ってる」って。


でも今回、これを声高らかに提唱しようと思います。

================
『学問のすすめ』
実はそんなに学問すすめてない説
================

僕の感覚では、「学問しようぜ!」
っていう主張は全体の3分の1くらいです。

残りは、人としての在り方とか、
より良い人生にするための考え方が中心。

ですので、実はそんなに
学問しようぜ!をゴリ押ししてるわけじゃないんですね。


この本全体のメッセージとしては、
「学問しようぜ!」じゃなくて、
「自分の品格を高めて良い人間関係をつくろう」
っていうことを話してます。

ただ、それをタイトルにするのが難しいから、
シンプルに『学問のすすめ』ってタイトルに
落ち着いたのかなと思います。


とはいえ、最初は学問の大事さについて書かれてます。

たとえばこんな感じで。

”この人間の世界を見渡してみると、
賢い人も愚かな人もいる。
貧しい人も、金持ちもいる。

また、社会的地位の高い人も、低い人もいる。

こうした雲泥の差と呼ぶべき違いは、
どうしてできるのだろうか。

〜中略〜

賢い人と愚かな人との違いは、
学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。”
(『学問のすすめ』ちくま新書、P9〜10、著福澤諭吉)

 
他には、こんな厳しいことも言ってます。

”世の中で学問のない国民ほど
哀れで憎むべきものはない。

知恵がないのが極まると恥を知らなくなる。
自分の無知のゆえに貧乏になり、
経済的に追い込まれたときに、
自分の身を反省せずに金持ちを恨んだり、
甚だしくなると、集団で乱暴することもある。

これは恥知らずであり、
法を恐れない行為である。”
(同じ本、P18)

 
よくいますよね。
SNSで有名人を叩くことを趣味にしてる人。
今の時代だと、YouTuberをせっせと叩いてる人もいます。

そういう人達のことを、福澤諭吉は
明治時代から「恥知らず」と言ってるわけです。

出版から100年以上経っても
こういう人達がいまだに一定数いるのを見たら、
福澤諭吉も悲しむでしょうね。

それ以上に、1万円札を見て
「あれ?こんなところにワシがいる!」
って驚くかもしれませんが。笑


さて。

じゃあ学問の大事さ以外に
どんなことが書いてあるのか?って話ですよね。


いろいろ書いてあって説明しきれないんですが、
大きく分けて言ってることは2つ。

1.自分の品格を高めよう
2.いい人間関係をつくろう


「1.自分の品格を高めよう」では、
たとえばこんなことを話してます。

◆男女は平等ではないけど、
どちらの方が優れてるってわけでもない

◆衣食住を得るだけの人生はアリと同じだから
もっと上を見よう
(彼は意外と毒舌です)

◆自己満足しないこと

◆妬みは百害あって一利なし


「2.いい人間関係をつくろう」では、
興味を幅広く寄せる大事さを語ってます。

それと、意外にも「見た目って大事だよね」
という話もしてます。

”表情・見た目を快くして、
一見してただちに人に嫌な感じを
与えないようにすることが必要である。”
(P224)


ただ、こんなこと言うとよく出てくる意見に、
「それって表面を飾ることだよね。
そんなことしてたら虚飾して
人と付き合うことになるよね?」
っていうのがあります。

これについても、福澤諭吉は見事に返してます。

 

”この言葉もまた一理あるようだけれども、
虚飾というのは交際の弊害であって、
その本質ではない。

事物の弊害というものは、
ややもすればその本質と
正反対になるものが多い。

『論語』に「過ぎたるはなほおよばざるがごとし」
とあるのは、すなわち弊害と本質とが
相反するものであることを評した言葉である。

たとえば、食べ物は身体を養うものだが、
食べ過ぎればかえってその栄養を害してしまうようなもの。

栄養は食物の本質であり、
食べ過ぎはその弊害である。
弊害と本質は相反するのだ。

であれば、人間の交際の本質も、
仲良く素直に付き合うことにあるのだ。

虚飾に流れるようなものは、
決して交際の本質ではない。”
(P226〜227)

 
この部分、前に読んだときはサラッと流しましたが、
今回読み直してみたらビビッときました。

食べ物の喩えはめっちゃ分かりやすいですね。
さすが福澤先生。

要約すると、
「楽しそうに人と接するのは大事だけど、
そりゃーやり過ぎたら弊害になるわさ。」
ってことを言ってます。


こんな感じで、『学問すすめ』は
ひたすら学問の大事さについて書いてる本かと思いきや、
実は、そうじゃない話の方が多いんですよ。

読むと説教されてドンヨリした気持ちになるどころか、
むしろ熱い思いにさせてくれます。


最後に、この本をもっと楽しむ読み方として、
福澤諭吉がいかに自分の主張に
説得力を持たせて語っているか?に注目するのもオススメです。

「なるほど」と思わず頷くことが多いんですが、
福澤諭吉は自分の言葉に説得力をもたせる技法として、
有名な書物から引用することが多いんです。

たとえば『論語』だったり。

他にも西洋のことわざや偉人の言葉を引用したりもしてます。


そういう部分からも学べることありますし、
読者が疑問に思うであろうことを予想して
すぐに答えてるところからも学べます。

なので、
この本を「いかに相手に納得してもらうか?」
の技術を学ぶ本として読むのも面白いですよ!


それでいて、
「私は学も浅いし見聞も広くない」
なんて言ってるわけですから、もう頭上がりません。

自分磨きに終わりはこないんでしょうね。

つまり、やればやるだけ成長できるってこと。

・・・なんて楽しいんだ!

 

それでは、今回はこの辺で~!

ありがとうございました。

 

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【参考書籍】

【ソクラテスの弁明】ソクラテスは実はコミュ障?!【感想・レビュー】

どうも、小野田(@carory)です。
今回は古典を読もう!ってことで、
『ソクラテスの弁明』を読んでみました。

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まだ4分の1くらい読んだだけなんですが、
感じたことを書こうと思います。

まあ、結論はタイトルに出ちゃってるんですけどね。苦笑

ですが、他の古典からも引用しつつ、
勉強になることをこんな感じのラフな文章で
書いていこうと思うので、ぜひ読み進めてみてください!


まず、ソクラテスの弁明を読み始めると
こんな一文で始まります。

”アテナイ人諸君、諸君が私の告発者の弁論から
はたしていかなる印象を受けたか 、
それは私には分らない 。”

どんな状況だよ!、って感じですよね。

読んでいけば分かってくるんですが、
まずこのソクラテスの弁明がどんなものかを
知っておいた方が理解しやすいと思うので、
我らがWikipediaから引用します。

”ペロポネソス戦争でアテナイがスパルタに敗北後、
アテナイでは親スパルタの三十人政権が成立し恐怖政治が行われた。

三十人政権は一年程度の短期間で崩壊したが、
代わって国の主導権を奪還した民主派勢力の中には、
ペロポネソス戦争敗戦や三十人政権の惨禍を招いた
原因・責任追及の一環として、ソフィスト・哲学者等の
「異分子」を糾弾・排除する動きがあった。

ペロポネソス戦争において致命的な働きをした
アルキビアデスや、三十人政権の主導者であった
クリティアス等と付き合いがあり、
彼らを教育した師であるとみなされていたソクラテスも、
その糾弾・排除対象の一人とされた。

こうしてソクラテスは、「国家の信じない神々を導入し、
青少年を堕落させた」として宗教犯罪である
「涜神罪」(神を冒涜した罪)で公訴され、
裁判が行われることになった。本篇はその場面を題材とする。”

(Wikipediaより引用)


ざっくり要約すると、
「戦争に負けたり圧政で俺らが苦しい思いしたのには、
そこに関わった奴らを教育してきた
ソクラテスにも原因がある。許せねえ!」

っていう民衆が大多数いたわけです。

それで、ソクラテスが裁判にかけられて、
そのときに「私は無実だ!」って
弁明する様子を描いたのがこの本です。


さて。

Wikipediaの引用によると、
ソクラテスが裁判にかけられたのは
悪いヤツらの師とされてるから、
って書いてありますが、実はそれだけじゃないんですよ。


それが分かるのが、ソクラテスのこんな言葉。

”私に対して現われた弾劾者には二種類あって 、
一は今私を告発せる者であり 、
他は既述せる如く旧くからの者であることを認められたい 。”


===============
実は、ソクラテスは昔から
たくさんの人に嫌われてたんです。
===============

これ、芸能人がちょっとしたスキャンダルで
叩かれまくるのと似てますよね。

嫌悪や憎悪や嫉妬を感じてた人は、
その対象がなにかミスしたりして
キッカケがあれば「今だ!チャンス!!」
って言わんばかりに一斉攻撃するわけです。

それと同じ。

そもそもソクラテスは、
多くの人に嫌われてたから
そんな状況になったんですよ。


じゃあ、どうして嫌われたのか?

ここが重要ポイント!

タイトルに「コミュ障」って書いた意図は、
この部分です。


そのキーワードは、「無知の知」にあります。

無知の知・・・
聞いたことありますか?

この本読んだことなかった僕の耳にも
届いていた言葉なので、有名な言葉なんだと思います。


ソクラテスは、対話を通して
自分の知識が完全でないことに気付いていて、
人間には全てを知ることなんてできないと考えてました。

その意味で、
==================
「私は何も知らないということを知ってる。」
↑これを無知の知と言います。
==================


だからソクラテスは、自分のことを
賢者(知恵ある者)とは思ってなかったんですが、
ある日、神様から「あなた以上の賢者はいない」
って言われたそうです。

現代で考えたらヤベー人だと思われそうですが、
とにかくそういう事があったそう。

でも、ソクラテスはそれを認めることができず、
こんなことを考えます。


「そうだ!世間で賢者と呼ばれてる人に会えば、
その人の賢明さを前に自分の未熟さが証明されるはず!」

そう思い、政治家や詩人や職人など
いろんな人と会って対話しにいきます。

 

ですが、ソクラテスの思いはすぐに崩れました。


そこで、世間で賢者と呼ばれる人に、
共通してこんなことを感じたんです。

==================
「この人たちは全てを知ってると思い込んでいる。
しかも、自分の分野だけじゃなく、
他の事柄について素晴らしい知見があるんだと。
知らないことを、知ってると思い込んでる。

これに対して、私は何も知らないけど
知ってるとも思ってない。
すべてを知ってるなんて思ってない。

この点において、私の方が優れてるな。
==================


と、こう感じる分には別にいいですよね。

ただ、そこで大人しくしておけば良かったものの、
ソクラテスはこんな行動をするんです。

 

”彼と対談中に私は、
なるほどこの人は多くの人々には賢者と見え、
なかんずく彼自身はそう思い込んでいるが、
しかしその実彼はそうではないという印象を受けた。

それから私は、彼は自ら賢者だと
信じているけれどもその実そうではないということを、
彼に説明しようと努めた。”

 
つまり、
「あんた自分では賢いつもりかもしれないけど、
全然そんなことないんだからね。」
って、相手に直接言ったわけです。

そりゃー、相手怒りますよ。笑


だけどソクラテスは懲りることなく、
「嫌われた。だがワシは間違ってない」
と信じて、他の人にも同じように話して回ったんです。

結果、影響力ある人に嫌われまくり、
その人達が「あいつはクソ野郎だ」と
周りに言いふらすわけですから、
それが広がって大多数の人たちに
嫌われることになったわけですね。


この辺りから、
ソクラテスはたしかに思慮深いかもしれないけども、
人との付き合い方には問題があったんじゃないかなと思われます。

だって、もっと違う言い方あったはずですから。

どんなに正しいこと言ってようが、
人間、嫌いな人の言葉なんて受け入れようとしません。


これはアリストテレスの『弁論術』でも
こんな風に書いてあります。

愛している時と憎んでいる時とでは、
また、腹を立てている時と穏やかな時とでは、
同じ1つのものが同じには見えず、
全く別物に見えるか、あるいは
大きく異なったものに見えるかするものである。
(『弁論術』岩波文庫、P159、著アリストテレス)

 

僕らは、誰かの考え方を変えようとするとき、
ここを忘れちゃいけません。

人は論理じゃなくて感情で判断するものですからね。

感情を分離して論理で判断するのって、
めちゃくちゃ難しいこと。


たぶん、ソクラテスにはそれが出来てたからこそ、
そうして論理で相手に話したんだと思います。

出来て当たり前だと思い込んでたわけですね。


なので、この『ソクラテスの弁明』は、
ソクラテスが賢すぎるが故の
悲劇だったのかなって感じました。

==================
自分に出来ることを
相手も出来るもんだと思い込まないこと。
==================

まだ4分の1ほど読んだところですが、
そんなことを学べた本でした。


ただ、これだけじゃなくて、
ソクラテスが弁明していく過程で
いかに話を進めていくのか?

っていう話の構成は
論理的に話す技術の勉強になりますし、
本来はそういう本だと思うので、
話術とか文章術を学びたい人にもオススメな本です!

さすがに歴史の淘汰を乗り越えてきた
古典と呼ばれるだけあります。


それでは、この辺で〜!

PS.

もっと短く書くつもりだったんですが、
長くなっちゃいました。笑

それだけ熱くなれる本ってことですね!

 

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【参考書籍】